初めて写した天体写真
1969年
(左)「フォーマルハウトとつる座」 1969年10月17日 記録と記憶に残る最初の天体写真です。
ネガカバーには「星野撮影 No.1(1969.10.17〜12.10)NP SSS)」と記されていて、1コマから4コマ目まで真っ黒で5コマ、6コマ、7コマと段階露出してありました。
父親の使っていたヤシカの35ミリカメラでしたか、正確なカメラ名、レンズの焦点距離は思い出せません。フィルムはネオンパンSSS。撮影地は自宅前で、現像はカメラ店に出しています。
(右)「初めての月面写真」 1970年5月14日 こちらも記憶に残る写真です。
髙橋の6.5cm屈折経緯台式天体望遠鏡に、ヤシカの35ミリカメラを手持ちであてがった、コリメート方式で写したものです。カメラレンズの絞りが開放になっていなかったため、絞り羽根によるケラレや、レンズのカビも出ています。現像から戻って5角形にビックリしましたが、当時は「クレーターが写ったー」と、とても喜んだものです。
天文誌初入選作
1970年
「1970gと1970m彗星* 1970年10月26日 18h32m30s〜32m55s アサヒペンタックスSP(55mm F1.8) トライX コダックD76 (20分) フジブロF4 透明度10 風強し」というデータが入選した「天文ガイド」誌1971年2月号に記載されています。現在、当時の記録はネガとネガ袋、それに掲載誌面の抜き取りが残っていました。DPEはカメラ店に出していた時代です。矢印は手書きで入れていました。
(写真の中心部は 赤経:16h30m,赤緯:+7° へびつかい、ヘルクレス、へび座(頭部)の境界付近)
*1970g=阿部彗星(阿部修)10cm反射で9等級で発見。
*1070m=鈴木・佐藤・関彗星(鈴木繁道・佐藤安男・関勉)14cm反射、15cm反射、12cm双眼鏡で7等級前後で、それそぞれ独立発見。
カビに浸食された1970年撮影のポジ
1970年
「東天の惑星とアンタレス」 1970年12月26日 05時50分 アサヒペンタックスSP スーパータクマー(f55mm F1.8)絞りF2.4 露出11秒 固定撮影 フジカラーR100
天文ガイド誌1971年5月号、カラーの部では初入選した作品です。これもデータは掲載誌の抜き取りからです。さそり座頭部が見える夜明けの空に、金星、木星、月。それに火星もいたような記憶があります。
当時のポジフィルムのマウントは紙製でした。缶に入れて湿気には注意していたのですが、年を経て缶を開けてみるとひどいカビに浸食されていました。その後はプラスチック製が出回り、すべてマウントし直して保管しました。紙マウント時代の悪影響は大きいもので、それにしても痛々しい写真になっています。
初めて写した月食
1971年
「月出帯食」1971年2月10日 初めて写した月食写真です。東の空に大きく欠けた月が昇る様子を地上の景色と共に写してありました。自宅から見て、当時東の方向には自動車練習場がありました。街灯はその灯りで、土手のような景色は古墳です。
撮影データは「野帳」として書き記していましたが、なくしてしまい、どうしても見つかりません。天体望遠鏡は高橋の6.5cm屈折経緯台で、カメラはペンタックスSPのはずです。カメラアダプターを使っているようです。
フィルムは自分で現像
1971年
「カシオペヤと流星」1971年7月20日 00h40m〜48m アサヒペンタックスSP(f 55mm F1.8)絞りF2.8 6.5cm屈赤(高橋製作所)K12mm 手動ガイド トライX パンドール(20.5℃)18分 フジブロF4
天文ガイド誌入選6回目の写真で、しっかりデータが残っていました。
経緯台を傾けてガイドしたこともありましたが、あこがれの赤道儀を手に入れています。この時代は主流であった手動ガイド。55mm標準レンズはラクなものでしたが、200mm望遠になると集中力がいりました。
天文誌の表紙を飾るカノープス
1971年
「カノープス」1971年11月26日 01h14m アサヒペンタックスSP 55mmF1.8 絞りF2.4 露出4分 さくらカラー このオリジナルは多少の褪色はありそうですがカビの浸食は逃れています。
固定も星野ガイドも当時は自宅近くで撮影していました。1972年3月号の「天文ガイド」誌の表紙を飾った写真は自宅より数十メートル南のお隣の家の門から写したものでした。自宅からカノープスが見える事を発見して、チャンスをうかがって撮影に出たものです。この場所は今でも撮影可能なので、折りをみて写して時の移ろいを比較したいところです。
アサヒペンタックスSP
1970年〜
初めて手に入れた一眼レフはスーパータクマー55mmF1.8を装着した写真中央の「アサヒペンタックスSP」です。天体写真の撮影では当時憧れのステータスでした。
SPはもう一台サブ機として中古で買い足し。そして103aフィルムで星雲を写したSMCタクマー300mmF4、Sタクマー200mmF4、SMCタクマー120mmF2.8の各交換レンズです。ともに処分しないで持っています。
コホーテク彗星
1974年
「コホーテク彗星」(1973f) 1974年1月12日 18時48分〜53分,ペンタックスSL,SMCタクマーf300mm,F4,絞り開放,トライX,パンドール(18→21℃)15分.
1973年3月7日に発見された彗星でその年の暮れの近日点のころには大彗星になるものと期待されていました。しかし、それほど明るくなりませんでした。
彗星の本格的な撮影は初めてで近日点前の明け方や近日点後の日没後の西空で連日追いかけるように撮影していて、撮影後直ぐに現像して写りを確認したりしていました。予想より暗かったとはいえ、それでも西空に肉眼で尾を伸ばしたコホーテク彗星は今でも印象に残っています。
103aによる散光星雲
103aというのは、コダック社で特に天文用に作られた感光材料のことです。名称はスペクトロスコピックフィルム103aと呼ばれるものです。散光星雲の写りは、まさに衝撃的で、それまでのトライXやレコーディングフィルムなど、比較にならないほど鮮明に写るものです。
そのすばらしさに着目し、103aを直輸入して試行錯誤を繰り返して撮影を重ねていたのが『103aによる散光星雲』(誠文堂新光社) の著者たちで1974年頃です。この写真集は、広範囲に写した写真から、望遠、短焦点反射でクローズアップした写真を並べて比較しています。
また、散光星雲の点在する天の川沿いを撮影して今まで知られていなかったり、
星図に載っていなかった星雲を数多く写し出しました。
そして、おもしろい形をした散光星雲には愛称を付けたのです。
なかでも一躍有名になったのがオリオン座の NGC2174-5の“モンキー星雲”でした。
また、さそり座のNGC6334は“出目金星雲”、NGC6357は“彼岸花星雲”で、
射手座のIC1283-4は“バンビの首かざり”など、この本によって最初に名付けられたもので、
今では広く親しまれています。
103aEによる撮影写真から“モンキー星雲”が生まれる
1975年
NGC2174-5 この「モンキー星雲」は、星座としてはオリオン座に位置していてふたご座との境界近くにあって、103aフィルムによって始めて世に注目されることになりました。
出版社から散光星雲の写真集を出す話しが舞い込み「103aによる散光星雲」の撮影者達は編集も担当していました。
編集を進めていくなかで、バラ星雲や、北アメリカ星雲などとすでに馴染みのある愛称の付けられた星雲がありますが、このフィルムによって新たに写し出された面白い散光星雲がいくつかあるので、当時の天文ガイドの編集長だった勝野源太郎氏に、発表する写真に愛称を付ける許可をいただいて愛称が掲載されることになりました。
「103aによる散光星雲」(井田三良・鈴木憲蔵・竹下育男 共著) によって名付けられた星雲の愛称は、まがたま星雲を除き、モンキー星雲など4種を竹下育男が命名しています。(まがたま星雲は、たまたま編集中に訪れていた池村俊彦氏が連想したもの)。
撮影で使用した300ミリ焦点の写真から連想した愛称も、デジタル時代になって更に鮮明で美しい画像を見ることができるようになりました。このごろでは、もう一度自分の手でこの星雲たちを美しく写してみたくなっています。
※ まがたま星雲 IC.405 ぎょしゃ座
※ モンキー星雲 IC.2174-5 オリオン座
※ 出目金星雲 NGC 6334 さそり座
※ 彼岸花星雲 NGC 6357 さそり座
※ バンビの首飾り IC.1283-4 いて座
103aEによるバラ星雲
1975年
103aEによる馬頭星雲
1975年
ウエスト彗星
1976年
ハレー彗星
1986年